真夜中の告白。
2005年11月20日ちょっと今日は聞いてください
長くなりますが、みうのはじめての告白です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みうが 武道に入門したのは
主治医のロボット先生が
「とりあえず、癌は今は動いていない!」と
画像上の安定を告げた ほんの数ヶ月後
まだ外出するのも体力を気遣っての警戒時期でした
さて
入門するには「健康診断書」が必要でした
それには都合が悪いことに(?)
既往歴に「悪性リンパ腫」と書かれていました
道場の先生は 診断書の既往歴を見て、
当然
「これ、きちんと治ってますか?」とおうかがいになった
みうは
「はい、治ってます!」と答えたあとで
『・・・今のところは。』
と 心のなかで ちっちゃくつぶやいた
・・・。
先生は 後に みうの病気の経緯を
闘病記でご存知になったとき
ある先輩に
「もし先に知っていたなら入門を許可しなかったかもしれない」
とおっしゃったと伝え聞きました
・・・そのときは物凄く反省した
先生、ホントにごめんなさいゴメンナサイごめんなさい
で
道場の先生に 入門の許可をもらった後、
今度は両親に
「日本文化系の体操みたいなレッスンに行くことにしました。」
と、話しました
・・・嘘はついてない。
と思う。
・・・多分。
みうの母は物凄い心配症です。
本当のことを言ったら
強固に反対されるに違いなかった
その母は、みうの言葉で、
ヨガのような柔らかいストレッチの日本版があると
解釈し、納得してくれた
「そうね、たしかに、
少し腕を伸ばしたり、背筋を伸ばしたりするのは
身体の回復にいいかもね。でも、無理しちゃだめよ。
少しは補助器具とか使うの?」
・・・みうは相槌を打たなかった
打てなかった
補助器具については「うん。似たようなの使う」と答えた
武器も多分、大きく考えれば補助器具のうち・・・
(ごめんなさい)
さて さらにその後、
そろそろ快気祝いしよう!と言っていてくれた友達に
「まだ外に出る体力がなくて」と
つぎつぎメールを送って約束を断った
体力を温存して
その分、稽古にいきたかったからですが
・・・ハイ、この場合は嘘でした
カミサマは 嘘をちゃんと見てる
後日、入門してほどなく、
電車で その路線では会うはずのない
その友達とバッタリ偶然会ってしまい
そして
「体力がなくて外出控えてる」はずの
みうの背中には 木刀が背負ってあった
・・・・友達は言葉を失っていた
平謝りに謝って、なんとか許してもらったけど・・・
そんなんまでして、と みんな飽きれるかもしれない
でも、
みうは、今習っている「武道」と
それを習う「彼ら」の存在を知ったとき、
どうしても 彼らのそばに行きたかったんですよね
これは他の人には絶対に
わからない感覚だと思うけど
再発や、死の恐怖に怯えるだけの
息をひそめるような毎日のなかで
癌が治ったときに見た夢の人たち、
その みうの守り神とも頼む存在と
(偶然かもしれないけど)
同じ姿をしていた 彼らのそばで
思い切り伸び伸び生きて生きまくって
それで癌が再発したなら
それは仕方が無いことなんだと
でも彼らの傍にいる限り大丈夫なんだと、
そう思い込むことで
みうは
再発の恐怖をクリアしていこうとしてたんだよね
でも
実際に稽古を始めてみたら、
動けなくなるほどの筋肉痛の痛みと
ごっつい先輩が突いたり蹴ったりしてくる恐怖が
再発の恐怖を上回った(笑)
効果抜群でした
冗談ではなく、ホントに忘れられたよ
明日の再発より 今日の筋肉痛と恐怖でしたもん
はは 今となっては懐かしい
他の患者さんには
この克服法は オススメできないけど。
・・・実はね
家族は今でも、みうがこの武道をやることに
あまり賛成はしていないです
稽古が激しすぎるの、 本当に。
主治医の先生も
いい加減 あきれているだろうなー
青アザ 筋肉痛は、診断の精度を鈍らせるだろうし
そうそう
いつだったか、みうが寝ているときに足がポーンと跳ね上がる
変な症状が、出た時期があったんですよね
最初
遅れて出てきた神経系の副作用かと
主治医は心配してくれたけど
どうも みうが稽古の夢を見ていて、
蹴りなどのイメージが出たときの反応じゃないかと
診断がついたときには
さすがに彼も複雑な顔をして
それを説明してくれてた
・・・そんな周囲の なまあたたかい視線のなかでも
どうしても武道を やめられなかった
家族は今回の初段も、喜んでくれつつ
「これでひと区切りついたでしょ、もういいでしょ」って
なんか言ってる
忍法 聞こえないふりの術。
・・・うん、だってね
みうにとって、
道場での日々は
カミサマたちと会う「祭り/祀り」のような時間であって
(この感覚を気持ち悪いって言う先輩もいるけどさ)
で
祭りは
人生と同じで
本人の希望がどうあろうが
続けたいって強く願っても
いつかは終わってしまうかもしれないのさ
その限られた時間のなかで
激しく踊る人もいれば、
厳粛に祭事を進める人もいるだろうけど、
せめて
みうは これからも
許される限りは
自分なりの祭りを楽しめればいいなと願っているの
誰に理解してもらえなくても。
ああ でも
これからは、みうの祭りの装束、一つ増やせるんだよ
黒くて地味だけど
みうにはもったいないぐらいの豪華な装束
その装束と一緒に
また「おまけの日々」の続きをはじめるの
・・・そうだ
定期健診の予約も入れなくちゃ
主治医の先生たちに
また笑ってもらいにね
・・・では、おやすみなさい。
みなさまも、どうか良い夢を。
明日も晴れるといいね
真夜中の独り言に
お付き合いいただき
ありがとうございました。
長くなりますが、みうのはじめての告白です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みうが 武道に入門したのは
主治医のロボット先生が
「とりあえず、癌は今は動いていない!」と
画像上の安定を告げた ほんの数ヶ月後
まだ外出するのも体力を気遣っての警戒時期でした
さて
入門するには「健康診断書」が必要でした
それには都合が悪いことに(?)
既往歴に「悪性リンパ腫」と書かれていました
道場の先生は 診断書の既往歴を見て、
当然
「これ、きちんと治ってますか?」とおうかがいになった
みうは
「はい、治ってます!」と答えたあとで
『・・・今のところは。』
と 心のなかで ちっちゃくつぶやいた
・・・。
先生は 後に みうの病気の経緯を
闘病記でご存知になったとき
ある先輩に
「もし先に知っていたなら入門を許可しなかったかもしれない」
とおっしゃったと伝え聞きました
・・・そのときは物凄く反省した
先生、ホントにごめんなさいゴメンナサイごめんなさい
で
道場の先生に 入門の許可をもらった後、
今度は両親に
「日本文化系の体操みたいなレッスンに行くことにしました。」
と、話しました
・・・嘘はついてない。
と思う。
・・・多分。
みうの母は物凄い心配症です。
本当のことを言ったら
強固に反対されるに違いなかった
その母は、みうの言葉で、
ヨガのような柔らかいストレッチの日本版があると
解釈し、納得してくれた
「そうね、たしかに、
少し腕を伸ばしたり、背筋を伸ばしたりするのは
身体の回復にいいかもね。でも、無理しちゃだめよ。
少しは補助器具とか使うの?」
・・・みうは相槌を打たなかった
打てなかった
補助器具については「うん。似たようなの使う」と答えた
武器も多分、大きく考えれば補助器具のうち・・・
(ごめんなさい)
さて さらにその後、
そろそろ快気祝いしよう!と言っていてくれた友達に
「まだ外に出る体力がなくて」と
つぎつぎメールを送って約束を断った
体力を温存して
その分、稽古にいきたかったからですが
・・・ハイ、この場合は嘘でした
カミサマは 嘘をちゃんと見てる
後日、入門してほどなく、
電車で その路線では会うはずのない
その友達とバッタリ偶然会ってしまい
そして
「体力がなくて外出控えてる」はずの
みうの背中には 木刀が背負ってあった
・・・・友達は言葉を失っていた
平謝りに謝って、なんとか許してもらったけど・・・
そんなんまでして、と みんな飽きれるかもしれない
でも、
みうは、今習っている「武道」と
それを習う「彼ら」の存在を知ったとき、
どうしても 彼らのそばに行きたかったんですよね
これは他の人には絶対に
わからない感覚だと思うけど
再発や、死の恐怖に怯えるだけの
息をひそめるような毎日のなかで
癌が治ったときに見た夢の人たち、
その みうの守り神とも頼む存在と
(偶然かもしれないけど)
同じ姿をしていた 彼らのそばで
思い切り伸び伸び生きて生きまくって
それで癌が再発したなら
それは仕方が無いことなんだと
でも彼らの傍にいる限り大丈夫なんだと、
そう思い込むことで
みうは
再発の恐怖をクリアしていこうとしてたんだよね
でも
実際に稽古を始めてみたら、
動けなくなるほどの筋肉痛の痛みと
ごっつい先輩が突いたり蹴ったりしてくる恐怖が
再発の恐怖を上回った(笑)
効果抜群でした
冗談ではなく、ホントに忘れられたよ
明日の再発より 今日の筋肉痛と恐怖でしたもん
はは 今となっては懐かしい
他の患者さんには
この克服法は オススメできないけど。
・・・実はね
家族は今でも、みうがこの武道をやることに
あまり賛成はしていないです
稽古が激しすぎるの、 本当に。
主治医の先生も
いい加減 あきれているだろうなー
青アザ 筋肉痛は、診断の精度を鈍らせるだろうし
そうそう
いつだったか、みうが寝ているときに足がポーンと跳ね上がる
変な症状が、出た時期があったんですよね
最初
遅れて出てきた神経系の副作用かと
主治医は心配してくれたけど
どうも みうが稽古の夢を見ていて、
蹴りなどのイメージが出たときの反応じゃないかと
診断がついたときには
さすがに彼も複雑な顔をして
それを説明してくれてた
・・・そんな周囲の なまあたたかい視線のなかでも
どうしても武道を やめられなかった
家族は今回の初段も、喜んでくれつつ
「これでひと区切りついたでしょ、もういいでしょ」って
なんか言ってる
忍法 聞こえないふりの術。
・・・うん、だってね
みうにとって、
道場での日々は
カミサマたちと会う「祭り/祀り」のような時間であって
(この感覚を気持ち悪いって言う先輩もいるけどさ)
で
祭りは
人生と同じで
本人の希望がどうあろうが
続けたいって強く願っても
いつかは終わってしまうかもしれないのさ
その限られた時間のなかで
激しく踊る人もいれば、
厳粛に祭事を進める人もいるだろうけど、
せめて
みうは これからも
許される限りは
自分なりの祭りを楽しめればいいなと願っているの
誰に理解してもらえなくても。
ああ でも
これからは、みうの祭りの装束、一つ増やせるんだよ
黒くて地味だけど
みうにはもったいないぐらいの豪華な装束
その装束と一緒に
また「おまけの日々」の続きをはじめるの
・・・そうだ
定期健診の予約も入れなくちゃ
主治医の先生たちに
また笑ってもらいにね
・・・では、おやすみなさい。
みなさまも、どうか良い夢を。
明日も晴れるといいね
真夜中の独り言に
お付き合いいただき
ありがとうございました。
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